武蔵野江戸農法とは
●三富新田
1694年、川越藩の命により、現在の所沢市・三芳町にまたがる三富新田が開発されました。当時、この地域は、草野原で、人間が暮らすための食料や水・家がない地域でした。そんな痩せた土地で人々が生活することができるようにするために、川越藩は農民たち1軒ごとに3本の苗木を与え、三富新田に植えさせ林を、その隣に畑と家をつくらせました。
最初は小さく、数も少なかった苗木は、農民たちの手入れを受け、数十年かけて成長し、広大な雑木林(平地林)となり、空っ風を防ぎ、水をたくわえ、人々の暮らしを守ってくれるようになりました。
そして、雑木林の木の幹は家や農具の材料に、枝は燃料に、落ち葉は堆肥として、三富新田の農民たちの暮らしに利用されるようになりました。
当時の人々は、雑木林を作り、十二分に利用・活用することによって、この地で暮らすことを可能としたのです。
三富新田では、人々がそのような暮らしを続けてきたことにより、開発以来300年以上が経ちます。
そう、三富新田の暮らしは、いわゆる「持続可能」な暮らしなのです。
普通、「開発」と言うと、木を切って何かを作ったり建てたりする開発をイメージすると思いますが、三富新田の開発は、そのような開発とは正反対の「木を植える」開発、すなわち、緑の開発でした。
●武蔵野江戸農法
三富で昔から続けられてきた雑木林を活かして暮らす方法は、三富新田の周辺地域でも同じように営まれていました。
そしてこの農法は、「武蔵野の落ち葉堆肥農法」として、日本農業遺産にも認定されています。
当法人は、この武蔵野の落ち葉堆肥農法を、「武蔵野江戸農法」と呼んでいます。
人々は、持続可能な暮らしを実現することにより、この地に、豊かな自然(雑木林)を生み出しました。
すなわち、武蔵野江戸農法は、武蔵野の雑木林の根幹なのです。